



第二次世界大戦中、陸軍が凍傷予防・火傷治療の機密薬として開発した感光色素は、戦後学識研究を集結させ医学的研究が進められた。特に化粧品業界への活用を期待して、㈱日本感光色素研究所が合成並びに基礎研究を受け持った。そして現在までに2万余種以上の感光色素がその機能性に応じて合成され、その特殊薬効性は十数件の特許を取得して化粧品への配剤が多用されるようになる。

感光色素の基礎研究が確立し臨床での効果が解明され、需要が拡大するにおよび日華薬品㈱から感光色素分野を分離し、発売元として昭和34年5月6日西区新町に㈱感光社を設立し、本格的に販売に当たる。

清水正雄 代表取締役就任。

厚生省よリ化粧品原料基準が制定されるにあたり、感光色素4種類の名称を改める。感光素101号・感光素201号・感光素301号・感光素401号が収載され、その認識が一段と深まる。IFSCC第5回東京大会に於いて、感光素に開する研究を学術発表する。

大阪市中央区島之内に本社を移転。

(株)林原の糖製品「マビット」及び「マルトース」等の化粧品分野への販売を開始。

薬事法改正に伴う成分表示の規制で、高い安全性から感光素4品目が化粧品原料基準収載から除外される。

(株)林原の糖製品「プルラン」及び「ファイントース」の化粧品分野への販売を開始。

久下良雄 代表取締役就任。

資本金を1000万円に増資。

IFSCC(国際化粧品技術者会連盟) 第17回横浜大会に企業参加し、感光素のイメージアップを図る。

清水秀雄 代表取締役就任。

『熱測定法による感光素の抗菌性解析評価』をテーマに、㈱マンダムと㈱感光社の共同研究を大阪府立大学農学部(高橋克忠教授)にて開始。新化粧品原料として「ハイドロライトー5」の販売を開始。

『防腐殺菌剤及び人体施用組成物(感光素201号「ピオニン」とアルカンジオール類)』の特許を出願。第18回生物開発センターセミナーにおいて『化粧品原料の抗菌性について』を発表。第42回SCCJ研究討論会において『微生物熱測定法を用いた1,2-ペンタンジオール・パラベン・ピオニンの抗菌活性の検討』を発表。

日本熱測定学会誌に『化粧品原料としての湿潤剤の抗微生物作用(各種アルカンジオール類)について』を掲載。
㈱林原生物化学研究所と㈱日本感光色素研究所が合併。
㈱林原生物化学研究所と㈱日本感光色素研究所が合併。

第24回生物開発センターセミナーに於いて『感光素の抗菌作用(感光素201号「ピオニン」と1,2ペンタンジオール)について』を発表。
けいはんな文化学術協会にて『感光素の抗菌活性と1,2-hexanediol、1,2-octanediolの化粧品原料化』の研究を開始。池田糖化工業㈱との技術提携により植物エキスを中心に販売を開始。
けいはんな文化学術協会にて『感光素の抗菌活性と1,2-hexanediol、1,2-octanediolの化粧品原料化』の研究を開始。池田糖化工業㈱との技術提携により植物エキスを中心に販売を開始。

第14回インターフェックスジャバンに出展。「感光素」・「KMO-6」・「植物エキス」などの原料を紹介。日本化粧品技術者会大阪支部主催の第一回勉強会に於いて『感光素と1,2-ヘキサンジオールの微生物測定法による抗菌性について』を発表。

化粧品の新原料として抗菌性のある保湿剤「KMO-6(1,2 - ヘキサンジオール)」の販売を開始。

日本化粧品技術者会主催 第1回化粧品産業技術展に出展し『これからの保湿剤 1,2-アルカンジオールの効用について』を発表。

㈱感光社研究室(LABO)を開設。

日本化粧品技術者会主催の第2回化粧品産業技術展に出展。

第24回IFSCC(国際化粧品技術者会連盟)大阪大会に出展。

日本化粧品技術者会主催第3回化粧品産業技術展に出展。

清水正人 代表取締役就任。

㈱感光社創業50周年を迎える。日本化粧品技術者会主催第4回化粧品産業技術展に出展。

日本化粧品原料協会連合会主催 第5回化粧品産業技術展に出展。

日本化粧品原料協会連合会主催 第6回化粧品産業技術展に出展。
大阪市中央区南船場に本社、LABOを移転。
大阪市中央区南船場に本社、LABOを移転。